古い考え方だ!ダメ!
ということがあったので、「多様性」という言葉について僕が思っていることを書いていきたい。
結婚式に真っ赤なチャイナドレス?
この記事を書こうと思った大きな理由はこの記事を読んでから。
『「目のやり場に困るほどでした」結婚式に“春麗”みたいなチャイナドレスで参列した女性に困惑』
要約すると、結婚式に真っ赤なチャイナドレスを着てきてる人がいた。マナー違反だよねって記事。
この記事のコメント欄が突っ込みどころ満載だったので、突っ込んでいく。
この人の出身地でこれが普通だったら?
この人の出身地でこれが普通だったから何?
こちらの土地の風習に合わせるべきで、それがどうしても嫌なのであれば欠席すればいい。
そもそも本当に中国人だったとしても、フォーマルな場でチャイナドレスを着る風習はもうないけどね…
チャイナドレスを着て結婚式にどうしても出たいのなら、自分が主催者側(新郎新婦or式場)に確認すればいい。日本のフォーマルな場ではあまり一般的ではない装いをしようと思うなら当然の気遣いだよね。
その考えが古い
郷に入れば郷に従え
に対する返信で
確かに「郷に入れば郷に従え」という言葉が作られたのはかなり昔のこと。ただ、古い考えも認めるのが多様性じゃないのかな?
古い考えの一言で一蹴して、吟味もすり合わせもしないその考え方は排他的でかなり古くさく見えるよ。
多様性=何でもあり?
って声高に言っている人って法律違反じゃなければ何でもアリって考えてるのか?
多様性の時代なんだから。
「ワタシのクニでは上裸にネクタイが正装デス!」って人がいたらどうするの?
「ゲップでお祝いするのがワタシのクニのマナーです!」って人がいたら?
「拍手のカワリにクチャクチャ音を出して食べるのがお祝いです」って人は?
は?それも認めろよ。お前の主張ってそういうことだろ。
そのマナーは多様性を認めてない!って言ってる奴はこの事実を忘れてる。
多くの人がそれは無理ってなるライン上にマナーが作られてる
そこを忘れるな。
他の人の気持ちを無視して自分の気持ちを優先するのはただの自己中。
マナー、ルールと多様性のすり合わせが大事
多様な社会を阻害してる!
っていう主張が最近は主流だよね。
ただすでに書いた通り、その主張がすでに多様性を認めてない。
かといって古いマナーだけを押し付けるのも違う。
だから大事なのはちょうどいい塩梅を探す努力だと思う。
どういった理由でできたのか?
守らないとどういった印象を与えるのか?
現代社会において多くの人に認知・守られているのか?
不快に感じる人はどの程度までなら許せるのか?
本当にそのマナーが人権を侵害してるのか?
少なくともこれくらいは考えた上で、
と主張するべき。
すり合わせもせずに自分の主張をする
ドレッドにして卒業式に来た事件とかもそうだよね。
多様性という言葉で問題をすり替えてるだけ。
最近の若者はルールやマナーについて、多様性という言葉を盾にして
という主張を繰り返してる。
けどさ、多様性ってそういうこと?
俺のやりたいようにやらせろ!
ってことなんか?
多分本当の意味での多様性って違うよな。
どんな人でも差別されずに認め合って生活できるってことだろ。
多様性とは言っても、何でもありってわけじゃない。昔からのマナーを重んじる人もいる。その人も尊重すべきだし、マナーなんてクソくらえ!って人も尊重するべき。
ただ、今回の記事のように出席する結婚式が伝統的なものであれば伝統的なマナーに沿った格好をするべき。あなたが自由な格好をしたいのであれば自分の結婚式をそういう形にすればいい。
まとめ
多様性を認める社会はいい。
多様性という言葉を盾に、好き勝手にしたいだけのおバカはだめ。
こんな感じ!
カッパ